俺は夜の浜辺を歩いてみる。
落ち着いた波の音、潮の匂いのする夜風が心地よかった。
ちょうど、月が雲の間から出たみたいだ。
月明かりの中、黒い海がキラキラ光る。
とても幻想的な景色だった。
樹菜「……綺麗」
修馬「そうだな、綺麗だな」
樹菜「え?」
修馬「え?」
思わず同意してしまった後に、ひどく驚いた。
樹菜「……あ、修馬?」
修馬「おーびっくりした。何だ樹菜か」
樹菜がまじまじした表情のまま硬直していた。
修馬「何してんだよ?こんなとこで」
樹菜「え?あ……
な、何て言うか……決意表明と言うか……」
修馬「決意表明?何のだよ?
あー!そういや樹菜、静かな海を見てみたいって言ってたな」
樹菜「あ……う、うん!
静かな海、好きだよ」
修馬「おう、俺も好きだよ。
……ん?何持ってんの?それ」
樹菜の手にはロープが握られていた。
樹菜「あ、あー……え、えっと。
これは……ですね。その……」
修馬「何だ、誰か絞殺前だったのか?
……ぷっ!あはは!ごめん、冗談だ!
隣、座っていいか?
せっかくだし、少し話そうや」
樹菜「え、あ……うん」
俺と樹菜は、砂浜に座る。
服に砂がついてしまった。
だが少しくらいなら我慢出来る。
ゆっくりしたい気分が勝った。
樹菜「あー……どうしよ。
ロープ見られちゃったし……
私、修馬はやれないし……
これ、詰んじゃったんじゃ……」
頭を抱えた樹菜が何か独りでボソボソ言っている。
修馬「ん?何か言った?」
樹菜「い……いや、何でもないよ」
修馬「いやーそれにしてもこんな綺麗な島に来れるなんて、ミステリー研究サークルに入ってよかったわ俺」
樹菜「……うん、そうだね。
私も入ってよかったと思ってるよ。
みんは大好きだし」
修馬「なっ!いい奴ばっかだよな」
樹菜「……うん」
樹菜の返事にはどこか含みがあった。
沈黙が訪れる。
波の音が定期的に耳をくすぐった。
修馬「どうかしたか?樹菜」
樹菜「……ねえ、修馬」
修馬「ん?どうした?」
樹菜「このサークルがね、なくなっちゃったりして……
ひとりぼっちになるのって怖いと思う?」
何だその質問?
首を動かすと、樹菜の横顔は真剣だった。
戸惑いはしたが、俺もそれに応じることにした。
修馬「……そうだな。
考えたこともなかったけど、そりゃ怖いな……」
樹菜「怖い……よね」
樹菜は目線を下げた。
その横顔には、不安が見えた。
修馬「……なんだよ。
やめちまうのかサークル?
樹菜……いなくなるのかよ?」
樹菜はこの言葉に、呼吸をやめる。
やがて……
樹菜も首を動かし、俺と目が合った。
樹菜「……うん」
その目は……
とても綺麗で……
とても澄んでいて……
修馬「……」
とても、悲しそうだった。
修馬「……そうなのか」
俺は言葉を失う。
やはり何か様子がおかしい。
いつもの樹菜ではない。
何が悲しいんだ、樹菜。
修馬「何があったんだ……?」
出来る限り、優しく言った。
樹菜の悲しそうな目は、ゆっくり夜の波へ戻る。
樹菜「あのね、修馬。
私、あと1年の命なの……」
冷たい風が俺と樹菜の間を抜けた。
木々がバサバサと揺れている。
修馬「本当……なのか?」
落ち着いた言葉で返せた。
嘘は言ってないことは理解出来た。
樹菜「……うん。半年前くらいかな。
なんか体調が変だなーって思ってて、かかりつけのお医者さんに相談したら、総合病院に連れて行かれて色々検査されて……」
修馬「……うん」
樹菜「いきなり言われたよ。
長くはないだろうって。
もう少し早ければ、何とかなったかもって話もされたっけな。
……すごくびっくりした。
何で私なんだろうって、何回も、何回も考えたり……」
修馬「……そうか」
樹菜「死へのカウントダウンをどれほど呪ったかもう覚えてないなぁ」
死への、カウントダウンか。
樹菜「もともと私鬱病でね。
みんなには理解されないようなことでも死にたいって思うほど悩んじゃったりしてたんだ……
だから生きてるのって辛かった……
いつか死ぬ時は自分で決めようって思ってたのに……
ふふ、おかしいよね?
自分の命が残り少ないとわかったら、死ぬことに心の底から恐怖を感じたんだ」
樹菜の目には涙。
俺はじっと話を聞く。
樹菜「何で怖いと思ったかわかるかな?
あのね、私ね……
このサークル以外で友達なんかいないの。
誰も私のことなんか理解してくれないし、ずっと誰からも必要とされなかった。
なのに、ここのサークルのみんなは私を認めてくれた。
私の書いたミステリーを面白いって言ってくれた。
みんな、私と友達になってくれた……
ううう……ううっくう」
樹菜はひたすら、目をこすっている。
樹菜「……大人しい私はみんなを後ろから見てるだけのことが多かった……
だけど……
だけど、みんななかなか気付いてくれないけど……
私はこのサークルのみんなが本当に大好きだったの!」
俺は黙って聞く。
いや、何も言えなかった。
樹菜「私はただ、みんなとずっと一緒にいたかっただけなのに……
なのに私だけ……
人生が余ってるみんなが羨ましかった……
死ぬことが怖いんじゃない!
自分だけみんなと離れることが怖かった。
またひとりぼっちに戻るのが怖かった……
どんなことよりも……」
俺は態勢を変えた。
服につく砂なんて関係なかった。
修馬「樹菜、おいで」
俺は、両手を樹菜に向ける。
樹菜「え?……何?」
不思議そうな樹菜。
涙で顔はぐちゃぐちゃだった。
修馬「もう、いいから」
俺は樹菜を胸の中へ引き寄せた。
樹菜「あ……しゅ、修馬?」
そして力を込める。
修馬「わかったから。辛かったよな。
1人で抱えてたんだよな。
でも、お前は1人じゃない」
樹菜「……うう」
修馬「これから……
ちゃんと俺がついてるから」
樹菜「うあああああああああああ!!」
樹菜の両手が俺の背中を掴む。
樹菜「あああ……ああああああああ」
樹菜の涙を肩で感じる。暖かかった。
修馬「大丈夫か?」
樹菜「うん、ありがと……」
少し落ち着いた腕の中の樹菜。
声が全身に響く。
こんなとこ吹雪に見られたら……とか考えてしまったが、とても大切なことだと思い、続けた。
修馬「……なあ」
樹菜「うん……?」
修馬「治らねえんだよな?」
樹菜「……うん」
修馬「……そうか」
樹菜「みんなには、言わないでくれる?」
修馬「何で?」
樹菜「私、楽しそうなみんなが好きだから……
最期まで楽しそうなみんなと一緒にいたいんだ」
修馬「そう……か。
……わかった」
樹菜「ありがとう」
修馬「ならさ」
樹菜「……うん」
修馬「大切にしよう。残りの時間」
樹菜「……大切……?」
修馬「そんでその先はさ」
樹菜「その先……?」
修馬「ああ。
その先で……待っててくれよ」
樹菜「……」
修馬「いつかは俺もそっちに行くだろうから」
樹菜「……」
修馬「へへ、また待っててくれかって思った?
いつも遅刻してばっかで申し訳ねえや。
でもその時はさ……」
樹菜「……」
修馬「また一緒に、夜の海でも見ねえ?」
樹菜の腕に力がこもる。
その腕は、少しだけ……
樹菜「……うん。
……見る。
……待ってるよ」
嬉しそうに、震えていた。
樹菜「ありがとう、修馬。
……私、大切に生きるよ。
みんなと……」
俺は樹菜を……
たくさんの何かを救えた気がした。